ポンコツが翔ぶ

オードリー・お笑い・サブカルチャー

父性とオードリー

昨日の「オードリーのオールナイトニッポン 500回記念」スペシャルゲストは上田さん。上田さんの包容力、優しさにオードリー二人とも嬉しそうに飛び込んでいくようなトークは物凄く面白かったのはもちろんのこと、若林さんの周りにはなんと父親性のある先輩に溢れていることか。と。

はなわさん、ビトさん、ケン姐さん、梅沢さん… 

「僕には友達が少ない」と良く言う若林さんですがこういった素敵な可愛がってくれる先輩にはすごく恵まれている人だし、皆さんのことを心から慕っている姿が本当に微笑ましい。

「こんな風にしかできない」的な不器用さを皆さんはニコニコしながら見守っている。「死んでもやめんじゃねーぞ」と声を掛ける。渾身のケツバットを受け止める。

 最近思うんですが、「友達」「家族」「パートナー」どれもいなきゃいけない。とかじゃなくて自分が心地良く居られる人と心地良い時間を過ごしていて、気づいたら死んでた。くらいがいいですね。。

 

そういえば今日は父の日でした。

父の日忘れるくらい私は元気になってきたんだなぁ。うん。ごめんよ隠れた父よw明日線香あげます。

 

https://www.excite.co.jp/news/article/Cobs_1922052/

 

 

 

 



病院ラジオ

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www.nhk.or.jp

第二回再放送録画を視聴。噂には聞いていたけど、すごい番組。サンドイッチマンが病院に出向いて、院内だけのラジオ番組をする。病気の人とその家族や、院内にいる人たちがラジオで対話する45分間。こんなアイデア、どうやって浮かんだんだろう。

 

イントロ、病院にバンで乗り付けて、テントを張って、ラジオブースをセットして、病院内にお知らせをして回っているサンドの二人の様子。このイントロだけで何故かものすごくワクワクする。決して悲しさや辛さを伝えようとしている訳でないという決意を感じる映像。

 

ただ受け止め、相手の喜ぶことをふわっと伝える二人の話術が本当に素晴らしい。こういう時人は簡単に自分の想像を盛り付けてしまうのに。改めて二人のまあるく福々とした佇まいはそれだけで芸だなと思う。

 

ラジオであること。が強く効いていますね。伝えたい相手と距離ができることでしか話せない話。広く届くけれどごくごくパーソナルな心的距離の近いコミュニケーションができるのはラジオならでは。

 

語り手が「声」になることで病気やその肉体から離れて「その人そのまま」の輪郭がはっきり見えてくる。

 

45分という時間もちょうど良く「そして日々は続く」感があってとても優しい。これからもコンスタントに続けて欲しい。

 

 

 蛇足:ラジオを題材にした名作といえばこれ。

www.amazon.co.jp

 

オードリーのオールナイトニッポン 10周年全国ツアーin日本武道館 行ってきた話

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一つひとつのエピソードが思い出されて愛おしい。そういうものがある幸せを噛み締めてしまいます。

ずっと「大人になりきれない・中学生の心を持ち続ける」的なスタンスでいた二人が他者と関わり、家族というものについて向き合っていこうとしている。大きくステージを変えていこうとしている。そんな成長の瞬間に何万人ものリトルトゥース達と共に立ち会った。暖かい優しさに満ちたライブでした。子供の成長を見守る家族のような、そう、家族的な空気に満ちていましたね。

「大人になんかなるなよ」なんて誰も思わなかったと思う。ただただ「良かった。良かった。」と皆心から拍手し歓声をあげていたと感じました。

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あんなにオカルト嫌いな若林さんがお父さんのお骨の納め方に困ってイタコに会いに行く話から、春日さんがフライデーされたお詫びに狙ってる女を1泊数万する旅行に連れて行ったり、狙ってる女のお父さんを含めた誕生日会を催したりと互いの主題が「家族」になっていく。10年続くラジオの周年ライブであればもしかして今までを振り返ったりする内容になってもおかしくないのに、最近あった家族関連の話をする。奇妙なようでいてリトルトゥース(リスナー)にとってはとても必然に感じる展開。

 

ある意味オードリーANNは外の世界で感じたことを身内だけに話しかけるような空間でした。世間からズレこんだ二人が、飲み会、合コン、バーベキュー大会、ゴルフなどの”世間の人が当たり前に通ってくる経験”に恐る恐る参加しては「こんな風になってたのか」などと新鮮な視点で得たことを、身内(リトルトゥース)に語るのが面白さの一つだったと思うのですが、それがここ数年「おじさんだからね」という言葉で随分と中和されてきて、視点が優しくなり、受け止め方が大きくなってきて、それがまた楽しかったりもしていたわけですが、そんなナナメだった二人の成長の一つの分水嶺をこのライブツアーを通して見せてくれたかのようでした。

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特に「いっそ春日の魂と俺の魂を入れ替えて、春日の身体にイタコで入った親父の魂と中で話をさせてくれ」というある種超狂気的な最後の漫才は、発想が突飛すぎるがゆえにそれ程にお父さんを恋しがっている。ということを曝け出してしまうのに、それを厭わず、笑いに転換させようという凄みにゾッとしながらも、大笑いしながら涙がずっと止まらない、感情が揺さぶられ続けた漫才でした。

若林さんの「もう一度会いたい」という思慕と狂気に、「やってみよう」と受け止めて全身で呼応する春日さんの姿があまりもに輝いていて、愛しかなくて。漫才にはこんな形もあるのかと。

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家族旅行したら、アウトレットモールで景色の写真を撮るお父さんを見て若林さんは「思い出に残そうとしてんじゃないよ」と笑い、春日さんも同じようにバカ笑いする。それを山ちゃんに「頭おかしい」と叱られても、何にもおかしくないよなと話し合っていた二人が。こんな漫才をするようになるとは。

 

若林さんの「父親が隠れた」「家族の人数が減った」という表現に必ず春日さんが吹き出してしまう、若林さんは「笑ってんじゃねーよ!」と言う。あのお約束のやりとりの裏にある絶対的な二人の信頼関係はどれだけ見続けても永遠に分からない深さだと感じた時間でした。そして分からなくていいや。とも。そうやって二人がずっとお爺ちゃんになっても楽しそうに漫才をし続けて欲しい。それでいい。

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そのままでもいいんだよ。という自己肯定と、変わってもいいんだよという赦しと、人間賛歌。としか言い様のない夢みたいな数時間でした。そしてまた日々は続く。オードリーと一緒に歳をとっていける喜びを噛み締めながら。

 

 

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抽選にことごとく外れ、ライブビューイングでいいからやってくれと呟きまくっていたらライブビューイングになったしやっと当選しました。

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グッズ購入のために武道館へ行きました。ここにいる人みんながリトルトゥースなんだ!と思うと本当に感無量。



 

 

先天性ラジオ芸人 アルコ&ピース

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令和1発目に生放送という、ラジオに関しては引きが本当に強い”ラジオスター”アルコ&ピース。持ち味大爆発の放送だった訳ですが、聴いていてしみじみ思ったのが、本当にラジオに向いているキャラクターなんだなぁということ。

 

ラジオっていかに「なんでもないことを面白く話す力があるか&その番組独自の内輪感を作れるか」ではないかと私は思っていて、それは「視点の面白さ」「オリジナルワード創作センス」などなどの技量が問われることだと思われるんですが、アルピーってそこをそもそも持っている「中二的妄想力」「調子乗り」「内弁慶」のキャラクターが先天的にバッチリ押さえているんですよね。

 

「中二的妄想力」はなんでもないテーマを壮大な抒情詩にしてしまうし

「調子乗り」はその壮大な妄想トークに信じられないくらいの爆発力を与えてしまうし

「内弁慶(カッコつけ)」さは仲間内だけの特別を共有できている。とリスナーに感じさせてくれるし

 

努力はもちろんしていると思うけど、そもそも持っている力が圧倒的にラジオにフィットしている。それはテレビの平場やある種の現場だと未だに浮いてしまうこともあるのだけど。(「勇者ああああ」の東京ゲームショー開会宣言の平子っちのスベりたおし具合は何回見ても死ぬほど笑ってしまう)

 

今日の平子っちのぶん回しはさすがでした。

 

https://www.tbsradio.jp/dcg/

人間社会が怖かった話

間髪を容れずに書いてみる。私のそもそもの話。

 

生きてきてしばらくは人間社会が怖かった。

 

最近改めて振り返ると今までそんな人生でした。みんなが当たり前のようにやりくりしている「社会のしくみ」が自分にはとても難解に感じられた。

 

「こんな時にはこんな風に振る舞うといい」ということが一つも分からない。みんなが持っているらしいマニュアル本が自分に無い感覚。みんなは同じ本を持っているらしいのに、私自身はそんな本があることも必要だということもしばらくずっと分からなかった。自然にやっていることを奇異の目で見られ、誤解され、「変わった人ぶっている」とすら言われ。それが自分の個性なのだと開き直ってキャラ付けをして空回りし続けた。何がおかしいのかも分からず、ずっとずっと苦しかった。そんな子供時代。

 

子供が普通に言うワガママ(甘えている。と理解するのにも時間を要した)

女の子が自然に使う媚び(媚びでも無いらしいと理解したのは相当後)

集団に属した時に言葉にしなくとも理解する関係性(それが思いやりでもあると理解できたのも相当後)

 

全部、全部、自分には備わっていない機能。なんでみんな言葉にしてそれがあると直接教えてくれないんだ。あまりにも言語化されていないマニュアルが多すぎる。ってずっと悩んできました。ね。これが私のポンコツの正体です。

 

その後美大に入ったり、海外に住んだりして、ある程度自分のズレや短所を長所に変換できる環境や仕事を手に入れてどうにかご飯を食べさせてもらってきました。

色んなことがだんだんクリアになってくると、世の中と上手くやっていけない。とむずがっていた自分はだんだんそれの正体は「自分と上手くやっていけていない」ことと同義だ。と理解できるようになりました。

 

そんな時に出会ったのが「オードリーのオールナイトニッポン」。

そこには自分と同じように社会に折り合いがつけられずに、自分を持て余して根本に突っかかって気を吐く若林さんと、それをどっしりと受けとめる春日さんがいて(とはいえなんだか変)。


「ここでしゃべっているのは自分だ」

 

と思った。それくらい特に若林さんの感覚は自分自身に瓜二つだと感じました。「たりないふたり」で明かした「足りなさ」が痛いほど理解できたし、プロレスを見ることで「受け身」を理解していく喜びに心から共感したし、お父さんを亡くしたことで「ベタを笑うことができなくなる感覚」に両親を亡くした身として深く共感しました。

 

色んな物事を「大人ってそういう風にしてるんだねぇ」みたいに語り合う二人のスタンスはまさに普段の自分と同じだと思ったのです。

 

今もポンコツ具合は継続しているし、完治はしないと思うし、というよりポンコツを受け入れて付き合っていくしかないのですが、もう「人間社会が怖い」は治りました。

とはいえ、「自分と上手くやっていく術」は未だに模索中ですし、社会とはなんとなーく距離を持って遠くから見ている感じ。


でも40歳になってみると、意外にそういう人たくさんいるんだなと気づきました。ポンコツでどうにか生き抜いてきた人。そういう人はやっぱり何かを創っている人に多くて、歪んでいたり、欠損していたり、でも、それがとんでもなく愛らしくて。そういう人や作品や表現に出会える瞬間がたまらなく楽しいな。というのが最近です。

 

 

オードリーと私と

平成が終わって令和になるよ。そんなベタな理由で始めてみます。

オードリーが好きです。リトルトゥースです。最近特に、沸き起こるこの気持ちを書きたいなぁと思うことが多く、ここに書き起こして、できることならリトルトゥースの皆さんと絡めたらいな などと思っています。

 

ポンコツなんです。すごく。オードリーと同級生。40歳なんですが、いつまでたっても真人間になれていないなぁと思う日々です。いつまでたっても「ああー普通こんな風にするんだ。。」とか「大人ってこういう風にするんだ。。」と打ちひしがれる日々です。いい大人なのに。だから、オードリーの二人の大人になりきれていない様子にすごく共感するし、二人が少しづつ成長していっている様を見ると、自分のことのように嬉しい。

 

この間の10周年記念武道館なんて、ずっと泣いてました。エッセイ「武道館」にオイオイ泣きました。春日プロポーズでも泣きました。本当、若ちゃんじゃないけど「うわーん」って泣きました。そんな痛いファンです。

 

続けられたら嬉しい。人としてポンコツだけど、オタク能力は高いので。そんな自分を信じてみようと思います。